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ПЛЕЩУТ ХОЛОДНЫЕ ВОЛНЫ |
荒波のしぶき |
Музыка: Ф. Богородицкий, В. Беневский Слова: Я. Репнинский |
ボゴロディツキー、ベネフスキー作曲 レプニンスキー作詞 |
Плещут холодные волны, Бьются о берег морской… Носятся чайки над морем, Крики их полны тоской… |
冷たい波が飛沫をあげ 海岸へ押し寄せ砕け散る… かもめは海の上を飛び廻る 悲しみに満ちた鳴き声をあげて… |
Там, среди шумного моря, Вьется андреевский флаг, - Бьется с неравною силой Гордый красавец ≪Варяг≫. Бьется с неравною силой Гордый красавец ≪Варяг≫. |
打ち騒ぐ海の只中に 聖アンドレーエフ旗がはためく― 誇り高き「ヴァリャーグ」が 勢いに乗る敵艦と戦っている 誇り高き「ヴァリャーグ」が 勢いに乗る敵艦と戦っている |
Сбита высокая мачта, Броня пробита на нем. Борется стойко команда С морем, с врагом и огнем. |
高いマストは撃ち砕かれ 装甲も破られた 乗員は堅固に守り闘う 海と、敵の砲火と |
Миру всему передайте, Чайки, печальную весть: В битве врагу не сдалися - Пали за русскую честь!.. В битве врагу не сдалися - Пали за русскую честь!.. |
かもめよ、世界中に伝えてくれ この悲しい知らせを 戦いで敵に屈することなく― ロシアの名誉を守ったと!… 戦いで敵に屈することなく― ロシアの名誉を守ったと!… |
Мы пред врагом не спустили Славный андреевский флаг, Сами взорвали ≪Корейца≫, Нами потоплен ≪Варяг≫! |
栄えある聖アンドレーエフ旗を 敵前で引き降ろしはしなかった 「コレーエツ」は自爆し 我等が「ヴァリャーグ」は自沈した! |
Плещут холодные волны, Бьются о берег морской… Чайки на запад несутся, Крики их полны тоской… |
冷たい波が飛沫をあげ 海岸へ押し寄せ砕け散る… かもめは西を指して飛ぶ 悲しみに満ちた鳴き声をあげて… |
日露戦争の緒戦で日本が勝利を飾った1904年2月9日(ユリウス暦1月27日)の仁川沖海戦の模様を歌った曲です(写真は海戦を描いたポストカード)。単に「ヴァリャーグ」と呼ばれることもありますが、歌いだしの歌詞をとって呼ばれる方が多いようです。同じ題材の曲でも勇壮な№21の「ヴァリャーグ」が陽としたらこちらは「陰」。敗戦間もない2月17日付けのサンクトペテルブルクの新聞「ルーシ」(РУСЬ)紙上に掲載された「Я.レプニンスキー」署名の詩に、ユリエフ大学(タルトゥ大学)学生であったフョードル・ボゴロディツキー、スタヴロポリ・カザン大聖堂の聖歌隊指揮者В.ベネフスキーが曲を付けたとされています。作詞者のレプニンスキーは、銀行員だった、あるいは同じ1904年の10月に発表され、ツェーザリ・キュイ(1835-1918)により曲が付けられた「戦いの日に」(В ДНИ ВОЙНЫ)の作者Б.レピンスキーと同一人物である、などと言われています。また、作曲者として名前が挙がっている二人についても疑問を呈する研究者もいるようです。 大祖国戦争中に戦意高揚のため、アレクサンドロフ・アンサンブルやスヴェシニコフの指揮する国立アカデミー・ロシア合唱団により取り上げられ有名になりました。アレクサンドロフ・アンサンブルの録音のうち、初期のニキーチン独唱のものでは省略無しで歌っていますが、その後は省略・歌詞の順番の入れ替えを行うようになっています。上記掲載の歌詞はおおよそですが上に載せた西部軍管区歌と踊りのアンサンブルの演奏に合わせてあります。 ◆参考:ロシア語版ウィキペディア a-pesni ◆省略無しの歌詞 1960年代中頃のセッション録音。 |