グレース、ニコライ・チモフェーエヴィチ

Гресь, Николай Тимофеевич
テノール
1920年12月28日生
2003年3月25日没
黒海艦隊アンサンブルのソリスト 1946年~1955年所属
アレクサンドロフ・アンサンブルのソリスト 1963年~1972年所属
ロシア連邦共和国功労芸術家(1966年)
 テノール歌手。1920年12月28日にウクライナのポルタヴァ州コベリャキに生まれる。大祖国戦争中は魚雷艇の乗組員としてセヴァストーポリの戦いに参加し、重傷を負ったという。戦後、黒海艦隊アンサンブルに所属し、1946年から1955年までの間、同アンサンブルのソリストを務める。1955年にモスクワのボリショイ劇場のソリストに転じ1963年まで所属。ボリショイ劇場時代の録音として、オペラ「イヴァン・スサーニン」(グリンカ作曲)、オペラ「セミョーン・コトコ」・「戦争と平和」(プロコフィエフ作曲)、オペラ「じゃじゃ馬ならし」(シェバリーン作曲)が遺されており、特に「セミョ-ン・コトコ」ではタイトル・ロールを歌っている(ただし、オケ・合唱はボリショイ劇場のそれではない)。映像は1959年にマリオ・デル・モナコがボリショイ劇場に出演した際のオペラ「道化師」(レオンカヴァッロ作曲)に出演した時のものが遺されている。
 1963年にアレクサンドロフ・アンサンブルに移籍し、1972年の退団までソリストとして活躍した。1966年、ロシア連邦共和国功労芸術家の称号を得る。引退後はクリミアに住み、退役軍人の合唱団のメンバーとして活動していた。2003年3月25日、シンフェロポリで没した。

日本語の氏名表記は揺れがあり、LP解説文、CD新譜紹介などを見ますと「グレース」「グレス」「グレーシ」「グレシ」などが確認できます。当サイトではビクターのLPが採用して自分が慣れ親しんだ「グレース」としておきます。また、生没年、出身地、経歴など旧サイトで紹介した内容とかなり異なっていますが、インターネット情報(主にロシア発)が更新された結果を反映しています。ご了承ください。
ロシア民謡:白樺は野に立てり(ВО ПОЛЕ БЕРЕЗОНЬКА СТОЯЛА
1965年の映像。
ニシュチンスキー:灰色のカッコーは鳴いている(ЗАКУВАЛА ТА СИВА ЗОЗУЛЯ
1965年の映像。
ロシア民謡:僕は世界中を旅した(ВСЮ-ТО Я ВСЕЛЕННУЮ ПРОЕХАЛ
1969年のセッション録音。
リムスキー=コルサコフ:オペラ「五月の夜」からガラヴァー(МАЙСКАЯ НОЧЬ~ПЕСНЯ ПРО ГОЛОВУ
1960年代半ばのセッション録音。
主な録音(詳細を逐次追加)
曲   名 録音方式 録音年 ディスク番号 備 考
オペラ「五月の夜」からガラヴァー
МАЙСКАЯ НОЧЬ~ПЕСНЯ ПРО ГОЛОВУ
セッション
ステレオ
1960年代半ば 010
33C-01395-6
白樺は野に立てリ
ВО ПОЛЕ БЕРЕЗОНЬКА СТОЯЛА
セッション
ステレオ
1960年代半ば
世紀の真実
ПРАВДА ВЕКА
セッション
ステレオ
1972年?
せわしき流れの河
КАК ПОЙДУ Я НА БЫСТРУЮ РЕЧКУ
セッション
ステレオ
1963年
12月
17~18日
002
LDX-S4290
友よ忘るな
ВСПОМНИМ-КА ТОВАРИЩИ
セッション
ステレオ
1966年? アレクサンドル・シビルツェフとの二重唱。
灰色のカッコーは鳴いている
ЗАКУВАЛА ТА СИВА ЗОЗУЛЯ
セッション
ステレオ
1960年代半ば 010
33C-01395-6
フニクリ・フニクラ
FUNICULI FUNICULA
セッション
ステレオ
1966年?
ベルリンを去って
ЕХАЛ Я ИЗ БЕРЛИНА
セッション
ステレオ
1960年代半ば
僕は世界中を旅した
ВСЮ-ТО Я ВСЕЛЕННУЮ ПРОЕХАЛ
セッション
ステレオ
1969年


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