ラエフスキー、イーゴリ・イヴァノヴィチ

Раевский, Игорь Иванович
指揮者
1937年5月30日生

アレクサンドロフ・アンサンブル首席合唱指揮者(2007年11月8日~)
アレクサンドロフ・アンサンブル芸術監督・首席指揮者
(2008年8月28日~2012年12月31日)
ベロルシア共和国功労芸術家(1967年)
ロシア連邦共和国人民芸術家(1978年)
大佐
 指揮者。1937年5月30日、モスクワに生まれる。父親はソ連邦英雄の称号を授与されたイヴァン・ヴァシリエヴィチ・ラエフスキー(1906-1943)。幼稚園の教師であった母親のナデジダ・ニコラエヴナ(1914-1947)も若くして亡くなり孤児となる。1949年から1954年までモスクワ合唱学校、1954年から1958年までモスクワ音楽院附属軍楽学校で学ぶ。
 卒業後は、1958年から1963年までドイツ駐留ソ連空軍歌と踊りのアンサンブルの芸術監督、1963年から1968年まで白ロシア軍管区歌と踊りのアンサンブルの芸術監督をそれぞれ務める(その間の1967年、ベロルシア共和国功労芸術家の称号を授与される)。1968年に創設されたチェコスロヴァキア駐留ソ連軍歌と踊りのアンサンブルの初代芸術監督に就任、1974年まで務めたのち、モスクワ軍管区防空軍歌と踊りのアンサンブルの芸術監督に転出した(1974年から1984年まで芸術監督、1990年から1995年まで首席合唱指揮者)。1978年、ロシア連邦共和国人民芸術家の称号を授与される。
 1984年からモスクワ音楽院軍楽部で教鞭を執り始める(助教授、後に教授、1994年まで)。
 1995年、急死したエフゲニー・トゥイチャンコの後を継いでスヴェシニコフ記念国立アカデミー・ロシア合唱団の芸術監督兼首席指揮者に就任、2007年まで務めた。
 2007年、8月に亡くなったユーリー・ウーホフの後任として11月にアレクサンドロフ・アンサンブルの首席合唱指揮者に就任、2008年8月にはヴャチェスラフ・コロプコの後を継いでアンサンブルの芸術監督兼首席指揮者となった。
 2012年12月31日付けで監督職を離れ、以降はアンサンブルの歌唱指導職(ПЕДАГОГИ ПО ВОКАЛУ)に就いているが、その後もしばしば演奏会で指揮やピアノ伴奏を披露している。

 自分が初めてモスクワ遠征した2008年の祖国英雄の日演奏会で指揮姿を拝見したのが最初の出会いでした(コロプコと演奏会の前半と後半で指揮を分け合っていたと思います)。その次の遠征は2013年で、既にサチェニュークに指揮を譲ってましたが、それ以降も前述のとおりアレクサンドロフ―パルクのピアノ伴奏や「ラデツキー行進曲」の指揮などでお目にかかることができました(下の映像も参照)。Wikipediaの記事を見ると、不幸な生い立ちの人のようですが、舞台上の指揮姿は常に明るさを感じさせるものでした(なお、生年をはじめ経歴は細かな点で異なるインターネット情報が存在します)。

オブーホフ(?):くぐり戸(КАЛИТКА
歌唱:アレクサンドロフ―パルク  ピアノ伴奏:イーゴリ・ラエフスキー
2015年2月23日、モスクワ、チャイコフスキー・ホールにおける祖国英雄の日演奏会の映像。
ラエフスキー:ロシアの踊り(РУССКАЯ ПЛЯСОВАЯ
2017年6月22日、モスクワ、チャイコフスキー・ホールにおける祖演奏会の映像。
ヨハン・シュトラウス一世:ラデツキー行進曲(RADETZKY-MARSCH)
2016年2月23日、モスクワ、チャイコフスキー・ホールにおける祖国英雄の日演奏会の映像。


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