アガフォンニコフ、イーゴリ・ゲルマノヴィチ

Агафонников, Игорь Германович
指揮者
1932年9月3日生
2005年3月26日没
アレクサンドロフ・アンサンブル芸術監督・首席指揮者
(1987年1月22日~1994年6月1日)
アレクサンドロフ・アンサンブル団長(1993年1月~1993年10月)
ロシア連邦共和国功労芸術家(1968年)
ロシア連邦共和国人民芸術家(1984年)
大佐
 指揮者。1932年9月3日、ポドリスクに生まれる。父は合唱指揮者(レーゲント)のゲルマン・アガフォンニコフ。祖父ニコライ・アガフォンニコフは長司祭を務めたが、1937年に逮捕・銃殺されている(2000年に聖徒に列せられた)。
 モスクワ音楽院附属音楽学校で合唱・指揮を学び1953年に卒業、モスクワ音楽院に進み、ヴァシリー・ムーヒン教授に学び1958年に卒業する。
 1958年以来、20年以上にわたりボリショイ劇場で合唱指揮者として活躍し、1980年には、同年亡くなったアレクサンドル・スヴェシニコフ(1890-1980)の後を継いでソヴィエト国立アカデミー・ロシア合唱団の芸術監督兼首席指揮者に就任する。この間、1968年にロシア連邦共和国功労芸術家、1984年にロシア連邦共和国人民芸術家の称号を授与される。
 1987年、ボリス・アレクサンドロフの推薦により、アレクサンドロフ・アンサンブルの芸術監督兼首席指揮者に転じ、1994年半ばまでアンサンブルを率いた(1993年1月から10月までの間はアンサンブル団長も兼務している。同時期には、スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ音楽劇場の合唱指揮者も兼ね、モスクワ音楽院附属音楽学校での教授活動も行っている)。在任中の1989年、アンサンブル初のアメリカ公演を実現(もともと1939年に予定されていたが第2次世界大戦の勃発で中止)、また、1993年にはフィンランドのロック・バンド「レニングラード・カウボーイズ」とのジョイント・コンサートを開くなどユニークな活動を行った。1992年にメジクニーガにセッション録音した3枚のディスクは、現在も放送用に使われる優れた出来栄えのものとなっている。
 1994年にアンサンブルでの仕事を終え、モスクワ音楽院で教授職に就いたのち、翌1995年からはシュニトケ記念モスクワ音楽大学で教授職を務めた。
 2005年3月26日没。故郷のポドリスクに埋葬された。
グリンカ:旧ロシア連邦国歌(愛国歌)(ПАТРИОТИЧЕСКАЯ ПЕСНЯ)
1992年、イスラエル公演の映像。
ロシア民謡:ドンの若者(雷鳴がモスクワに)(ДОНЦЫ-МОЛОДЦЫ)
1992年、イスラエル公演の映像。
ラフマニノフ:天使(АНГЕЛ)
晩年のシュニトケ記念モスクワ音楽大学でのリハーサル風景。


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