ЯМЩИК, НЕ ГОНИ ЛОШАДЕЙ

馭者よ馬を駆らないで
Музыка: Я. Фельдман
Слова: Н. Риттер

フェリドマン作曲
リッテル作詞
Как грустно, туманно кругом,
Тосклив, безотраден мой путь,
А прошлое кажется сном,
Томит наболевшую грудь.

何と悲しげなことか、一面霧に覆われて
我が行く手は陰欝で物悲しげだ
過去は夢のようなもの
心は耐え難い苦しさに悩む
Ямщик, не гони лошадей,
Мне некуда больше спешить,
Мне некого больше любить,
Ямщик, не гони лошадей.


馭者よ、馬を駆らないでくれ
自分にはもう急いで行くところはないんだ
もう誰か愛する人もいないんだ
馭者よ、馬を駆らないでくれ
Как жажду средь мрачных равнин,
Измену забыть и любовь,
Но память―мой злой властелин
Всё будит минувшее вновь.

悲しき平原の真中で
如何に切望していることか
裏切りと愛を忘れ去ることを
だが記憶は―我が悪しき支配者は
過ぎた事を全て新たに呼び起こすのだ

Ямщик, не гони лошадей,
Мне некуда больше спешить,
Мне некого больше любить,
Ямщик, не гони лошадей.


馭者よ、馬を駆らないでくれ
自分にはもう急いで行くところはないんだ
もう誰か愛する人もいないんだ
馭者よ、馬を駆らないでくれ
Всё было, лишь ложь и обман,
Прощай и мечты и покой,
А боль не закрывшихся ран
Останется вечно со мной.

全て偽りと欺瞞に満ちたことだったのだ
夢とも平安ともお別れだ
だが癒すことのできぬ心の痛みが
永遠に我が心に残るのだ
Ямщик, не гони лошадей,
Мне некуда больше спешить,
Мне некого больше любить,
Ямщик, не гони лошадей.


馭者よ、馬を駆らないでくれ
自分にはもう急いで行くところはないんだ
もう誰か愛する人もいないんだ
馭者よ、馬を駆らないでくれ
 哀愁溢れるメロディで知られるロシア・ロマンスの名曲。歌詞の内容を知ると哀愁は倍増します。1905年にニコライ・フォン・リッテルにより歌詞が書かれ、その後、しばらく経った1914年にヤコフ・フェリドマンが曲を付けています。曲は後にフェリドマンの妻となるアグリッピナ・グランスカヤに捧げられ、彼女により初演されました。なお、この曲は同じ頃作られたロマンス「馬を駆れ、馭者よ!(ГОНИ, ЯМЩИК!)」(オスタペンコ作詞、セミョーノフ作曲)への返歌(アンサーソング)と位置付けられています(抱き合わせで出版されたのでしょうか?)。また、曲の人気にあやかったのか、1916年には同じ題名の映画も公開されています。
 革命前夜の1910年代後半、この曲に惹きつけられた多くの歌手が、この曲を持ち歌としました。1920年に共産主義政権は共産主義の理想と相容れないとして、この曲の演奏を禁止しましたが、「馭者よ馬を駆らないで」に対する民衆の支持は変わらず、数年後には再び街中で聴かれるようになったと言われています。
 ソ連国外では、当初。亡命ロシア人を中心に歌われていたのが次第に広まり、日本でもザ・スプートニクスの「霧のカレリア」に代表されるように、曲の由来は知らなくてもそのメロディは広く親しまれてきました。


 作詞者のニコライ・フォン・リッテル(1846-没年不詳)はレーヴェリ(現在のエストニア共和国の首都タリン)のバルト・ドイツ人の家系に生まれ、法律を修め、モギリョフ(マヒリョウ)、キエフ(キーウ)といった都市で法律家として活躍しました。法律家としての業績に対して、1887年から1905年にかけていくつかの勲章を授かっています。その傍ら、リッテルは詩作、更には自作詩に曲を付けるといった、現在でいうソングライターとしての活動も行っていました。そのいくつかはロシアでは現在も歌い継がれているようです(リッテル作詞・作曲「ШУТИЛА ТЫ」、バカレイニコフ作曲、リッテル作詞「АХ ЗАЧЕМ ЭТА НОЧЬ」)。
 ロシア革命に際してリッテルは国外へ去った(ドイツへ移住?)とされる一方、1919年の時点で未だキエフに居住していたという説もあり、その最期は明らかになっていません。



 作曲者のヤコフ・フェリドマン(1884-1950)はオデッサのユダヤ人家庭に生まれ、ヴァイオリニストのピョートル・ストリャルスキー(1871-1944)の主宰する教育機関に学んだ後、オーケストラの第2指揮者、ピアニスト・合唱指揮者として活動、1912年にヴォロネジに移り、軽音楽オーケストラ「ブリストル」の指揮者の職に就きました。この地で後に妻となる歌手のアグリッピナ・グランスカヤと出会い、彼女のために多くのロマンスを作曲、献呈しています。「馭者よ馬を駆らないで」もそのうちの一つで、グランスカヤにより創唱されています。これらのロマンスの成功により、二人はモスクワに移り活動を続けますが、革命後の混乱、更には共産主義政権が彼等の音楽を敵視したことで、生活は困窮し、グランスカヤは病を得て1925年に亡くなります(フェリドマンはこの年、妻に捧げる最後のロマンス集を出版しています)。フェリドマンはリッテルと異なり、その後も共産主義化した祖国に留まり、各地のオーケストラで指揮者として細々と活動し続けました。大祖国戦争終結後の1950年、モスクワで没。グランスカヤの死から四半世紀が経っていました。


独唱:ドミトリー・ホロストフスキー(バリトン)
ニコライ・カリーニン指揮オシポフ・ロシア民族楽器オーケストラ
2004年、モスクワ音楽院大ホールにおける演奏会の映像。

独唱:オレグ・ポグディン
テレビ番組「РОМАНТИКА РОМАНСА」より。
2020年5月11日放送。

ザ・スプートニクス:霧のカレリア


セミョーノフ:馬を駆れ、馭者よ!(ГОНИ, ЯМЩИК!
独唱:リュドミラ・ニコラーエヴァ
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