1987年、モスクワ、労働組合会館における演奏会の映像。 |
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ЭХ, ДОРОГИ |
道 |
Музыка: А.Новиков Слова: Л. Ошанин |
ノヴィコフ作曲 オシャーニン作詞 |
Эх, дороги... Пыль да туман, Холода, тревоги Да степной бурьян. Знать не можешь Доли своей, Может, крылья сложишь Посреди степей. |
おお、道よ… 塵、そして霧、 寒気、不安 そしてステップのブリヤン草 知ることは出来ないのだ おのれの運命を あるいは翼を たたむことになるかも知れない ステップの真ん中で |
Вьется пыль под сапогами Степями, Полями. А кругом бушует пламя Да пули свистят. |
軍靴の下で塵が舞う ステップで 野で 辺り一面炎が荒れ狂い 銃弾の音が響く |
Эх, дороги... Пыль да туман, Холода, тревоги Да степной бурьян. Выстрел грянет, Ворон кружит: Твой дружок в бурьяне Неживой лежит... |
おお、道よ… 塵、そして霧、 寒気、不安 そしてステップのブリヤン草 射撃音が鳴り響き カラスが輪を描く 君の友人はブリヤン草の中 息絶えて横たわっている |
А дорога дальше мчится, Пылится, Клубится, А кругом земля дымится Чужая земля. |
道は彼方へと続き 埃が立ち 巻き上がる 辺り一面大地は煙る ここは見知らぬ異郷の地 |
Эх, дороги... Пыль да туман, Холода, тревоги Да степной бурьян. Край сосновый. Солнце встает. У крыльца родного Мать сыночка ждет. |
おお、道よ… 塵、そして霧、 寒気、不安 そしてステップのブリヤン草 松林の繁る辺り 太陽が昇る 故郷の家の玄関では 母親が息子の帰りを待っている |
И бескрайними путями, Степями, Полями. Всё глядят вослед за нами Родные глаза. |
果ての無い道に在っても ステップに在っても 野に在っても 我々の後にはいつも 愛する人々の眼差しがあるのだ |
Эх, дороги... Пыль да туман, Холода, тревоги Да степной бурьян. Снег ли, ветер, -- Вспомним, друзья!.. Нам дороги эти Позабыть нельзя. |
おお、道よ… 塵、そして霧、 寒気、不安 そしてステップのブリヤン草 雪が舞い風が吹く時- 思い出そう、友よ! 我々はこの道を 忘れてはならない |
1945年の秋に誕生した歌曲です。この年の秋に内務人民委員所属歌と踊りのアンサンブルが戦勝記念コンサート(歌を伴う音楽劇形式)を催す際、企画者の映画監督セルゲイ・ユトケヴィチ(1904-1985)がアナトリー・ノヴィコフ(1896-1984)に音楽を、レフ・オシャーニン(1912-1996)に作詞を依頼します。二人は渡された劇のプログラムから、兵士たちが列車で移動する場面に曲を付けることを選び、列車の車輪の響きを模したもの悲しい3拍子の前奏で始まるこの曲を完成させました。 予定通りその年の11月7日にコンサートは開催され、アンサンブルのソリストであるイヴァン・シメリョフ(1912-1960)がこの曲を創唱しました。初演は成功し、以来、多くの歌手がレパートリーに組み入れて歌い継がれています。日本ではアルトゥール・エイゼンにより紹介されましたが、この時、エイゼンは国内録音も行っており、自分もエイゼンの録音によりこの曲を知りました(日本ビクターから発売されていたLPには、ピアノ伴奏だけのものと、チェロの助奏付きのものの二つが出ていました)。下に載せたのは、その後、メロディアに録音したオーケストラ伴奏のものです。 1992年のセッション録音。 2022年5月4日、モスクワ音楽院における演奏会の映像。 1976年の映像。 1984年の映像。 1948年8月9日、ドイツ、ベルリンにおける演奏会の映像。 伴奏:モスクワ放送エストラーダ交響楽団 |