独唱:エフゲニー・ベリャーエフ(テノール)
テレビ番組「ゴルボイ・アガニョーク(Голубой огонёк)」より。1975年5月9日放映。

В ЗЕМЛЯНКЕ

壕舎の中で
Музыка: К. Листов
Слова: А. Сурков

リストフ作曲
スルコフ作詞
Бьется в тесной печурке огонь,
На поленьях смола, как слеза.
И поет мне в землянке гармонь
Про улыбку твою и глаза.

小暖炉の中で火ははぜて
薪についた脂は涙のように見える
壕舎の中でガルモーニは私に歌う
君の微笑み、瞳のことを
Про тебя мне шептали кусты
В белоснежных полях под Москвой.
Я хочу, чтобы слышала ты,
Как тоскует мой голос живой.
Я хочу, чтобы слышала ты,
Как тоскует мой голос живой.


木々は私に君のことを囁く
ここモスクワ郊外の雪原で
君のところまで聞えて欲しい
我が声の何ともの悲しく響くことか
君のところまで聞えて欲しい
我が声の何ともの悲しく響くことか
Ты сейчас далеко, далеко,
Между нами снега и снега.
До тебя мне дойти не легко,
А до смерти - четыре шага.

君は今はるか遠くに
僕等の間はただ雪-雪ばかり
君のところまで行き着くのは容易くないが
死までなら-ほんの四歩だ
Пой, гармоника, вьюге назло,
Заплутавшее счастье зови.
Мне в холодной землянке тепло
От моей негасимой любви.


ガルモーニよ歌ってやれ、吹雪の奴に
道に迷った幸福を呼び戻してくれ
冷えきった壕舎の中でも僕は暖かだ
消えることのない愛によって
Пой, гармоника, вьюге назло,
Заплутавшее счастье зови.
Мне в холодной землянке тепло
От моей негасимой любви.
Мне в холодной землянке тепло
От моей негасимой любви.


ガルモーニよ歌ってやれ、吹雪の奴に
道に迷った幸福を呼び戻してくれ
冷えきった壕舎の中でも僕は暖かだ
消えることのない愛によって
冷えきった壕舎の中でも僕は暖かだ
消えることのない愛によって
 アレクセイ・スルコフ(写真、1899-1983)作詞、コンスタンティン・リストフ(1900-1983)作曲の1942年の作品です。
 大祖国戦争中、スルコフは「赤軍プラウダ(КРАСНОАРМЕЙСКАЯ ПРАВДА)」、「クラスナヤ・ズヴェズダ(赤い星、КРАСНАЯ ЗВЕЗДА)」、「猛攻撃(БОЕВОЙ НАТИСК)」といった新聞の特派員として、前線での取材を続けていました。1941年11月27日、「赤軍プラウダ」の特派員としてモスクワ西部の要衝イストラに赴いたスルコフは、同地の守備部隊を取材した後、カシノ村の第258連隊本部に向かいますが、時を同じくしてドイツ軍の攻撃が始まり、否応なしに戦闘に参加せざるを得なくなります。激しい戦闘で着ていた軍用外套はズタボロとなってしまいましたが、何とか無事に生き延びたスルコフは、モスクワに戻るとチストポリに疎開していた妻に宛てて手紙を書きます。この手紙の文中に歌詞の原型となるフレーズを見出すことができます。当初は出版して世に送り出すことなど考えておらず、純粋に私信だったようです。
 1942年2月になって、作曲者のリストフが曲の歌詞探しのためにスルコフが働き始めていた「前線プラウダ(ФРОНТОВАЯ ПРАВДА)」の編集室を訪れます。妻への手紙に書いた詩を思い出したスルコフは、推敲した後、リストフに手渡しますが、どうせ何も生まれやしない、と思っていたそうです。しかし、霊感を得たリストフは、その1週間後、再び編集室を訪れると、フォトジャーナリストのミハイル・サヴィン(1915-2006)のギターを借りて、新作「壕舎の中で」を披露します。曲を聴いた人たちは大騒ぎとなり、その日の夕方にはサヴィンによっても歌われました(その際、メロディーはリストフが歌うのを聴いて覚えていたようです)。同じ「前線プラウダ」で働いていた作家のエフゲニー・ヴォロビヨフ(1910-1990)はサヴィンと組んで「コムソモリスカヤ・プラウダ(КОМСОМОЛЬСКАЯ ПРАВДА)」編集室に乗り込んでこの曲を披露(ヴォロビヨフ歌唱、サヴィン伴奏)、その結果、同紙の1942年3月25日号にこの曲が掲載されることとなります(正式な初演に数えられているのか知りませんが、歌が専門でない作家とフォトジャーナリストが「初演」とは面白いですね)。
 曲は発表後まもなく有名な民謡歌手リディヤ・ルスラーノヴァ(1900-1973)のレパートリーに加えられ、録音も行われて広く親しまれるようになります。1942年夏に入ると「死までなら―ほんの四歩だ」という歌詞が退廃的という理由で曲の演奏が禁止され、ルスラーノヴァのレコードも回収・破壊されますが、前線の兵士の強い支持によってほどなく禁止は解かれています。
 なお、歌詞の問題としては、上記以外にも第2番の最後のフレーズの問題があります。アレクサンドロフ・アンサンブルの演奏では、上に載せたベリャーエフの映像、プシェニチヌイの録音、いずれも2番の最後を「消えることのない君の愛によって(От твоей негасимой любви.)」と歌っています。他の歌手も同様に変更して歌うことがしばしば見られますが、スルコフはこれに憤慨していたようです。どちらを選んでも歌詞として意味は通りどちらも悪くないと思いますが、スルコフ本人には愛する妻への自分からのメッセージとして書いた、という思いがあったのですから怒るのは当たり前でしょうね。その他、下に載せたレニングラード歌と踊りのアンサンブルの演奏のように本来無い第3番を付け加えたり、最初っから全く新しい歌詞をつけた替え歌も存在します。

リディヤ・ルスラーノヴァによる発表間もない時期の録音(1942年4月27日、モスクワ)

独唱:アレクサンドル・クルーゼ(テノール)
2021年6月20日、モスクワ、チャイコフスキー・ホールにおける演奏会の映像。

独唱:レオニード・プシェニチヌイ(テノール)
1992年のセッション録音。

В.ヴァシリエフ(テノール)独唱 レニングラード軍管区歌と踊りのアンサンブルの演奏。
1979年のテレビ映画「兵士は常に備える(ВСЕГДА ГОТОВ СОЛДАТ)」より。
原詞にない第3番が加えられています。

ニコライ・ティムチェンコ(テノール、1927-1989)による1959年頃のセッション録音。
この曲がメロディアでCDに復刻される時によく使われる有名な録音です。
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